地震から一年経った同時刻、谷中の寺院の鐘が鳴り響く。
写真は地震直後で倒壊した諏方神社の灯籠とビルから避難する人々。
私は外でこの地震に遭遇した。日暮里の高層ビルが大きく左右に揺れ、街中にサイレンが鳴り響いた。
西日暮里駅が封鎖し、続々と諏方神社に人々が避難してくる。只事ではないと心臓の鼓動が速くなった。
店は幸い無事だった。丁度来院されている方もなく、院長、スタッフも何事もなかった。
携帯のワンセグで、津波に飲み込まれていく東北をただ眺めているだけしかなかった。
列をなし、都内を徒歩で帰宅するのは初めての経験だった。
震災での死者、行方不明者は1万9千人に上り、仮設住宅で避難生活を余儀なくされている方も34万人を超えるという。
原発のある福島県では6万3千人の方々が今も県外での避難生活を強いられている。
震災から一年が過ぎた現在、神社の灯籠は修復されていた。
痛みや苦しみというのは、他人には決してわからない。どこにぶつけていいか分からない。言語化できないから苦しい。たとえ言葉にしても尚足りない。
薄っぺらい希望に願いを託すより、死を見つめる。人はいとも簡単に死んでしまうものだ。死んだ人間は二度と帰ってはこない。命の期限など誰にも予測はできない。
誰にも必ず訪れる死。その死によって生とは何かを問う。
このような疑問が起こる事自体、私は死と程遠い所にあって只眺めていることを暴露している。何もわかっていない。覚悟が足りない。その答えは未だ無い。一生、考えるのだろう。だが震災を経て、命だけは何にも優先して大事であるということだけは明確になった。
1日も早い復興を期待すると共に、震災で亡くなられた方々へのご冥福をお祈り致します。
かこい
山手線・千代田線西日暮里駅すぐの
ワコーカイロプラクティック
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